宗教を信じるって悪いこと?
「宗教」と聞いた時、どんなことを感じますか??
「なんか宗教っぽいよね」という言葉。
何かにのめり込み過ぎてる人とか、胡散臭いと伝えたい時に耳にする言葉。
日本で”宗教”という言葉は
あまり良いニュアンスとして捉えられない気がする。
テロとか事件起こしちゃったり、お金を騙し取る人
=宗教やそれに近い何かを信じすぎている人
=自分の行動全てをそれに縛られてしまう人
=宗教は悪だ!
みたいな。そんなイメージが染み付いてしまってるのかなと。
モロッコに旅行に行ってきましたが、
今回の旅行を通じて
宗教、というか何かを信じきることに対して私の中の思考が確実に変わった。
今までイスラム教が根付いている土地に行ったことが無かったので
行く前からとても楽しみにしていました。
「イスラム教」については、
ISが起こすテロについてのニュースなどが報じられていたりして、
少なからずアッラーという神を信じている人たちに対して
怖い印象を持っていました。私は。
何かを信じすぎるって、怖い事なんだと。
そう思わせるニュースがあまりにも多くて。
行ってみてどうだったでしょうか??
モロッコでは、毎日5回お祈りの時間になると
アザーン(お祈りの呼びかけ)の音が街中に鳴り響きます。
日常に神様と自分が向き合う時間が当たり前にある。
すごく新鮮でした。
ツアーのガイドさんもイスラム教徒だったので
ツアー中はお祈りできないから、
ホテルの部屋に戻ってからお祈りするんだよ〜と話していました。
イスラム教を信じると決めているから、どんな時でも
なんとかお祈りをする時間を作り出しているんですね。
また、女性は肌をほとんど覆い隠す服を着ています。
街によって、装い方がちょっとずつ違うのも面白かった。
この習慣は、女性の美しい部分は
本来夫などの家族にのみ見せるべきものだから
外出先でむやみに見せるものではない。という考えに基づいているみたい。
女性は、美しさを隠すことで自分の価値を高めていました。
どちらかというと女性は強制的に隠させられている。というイメージだったので
あえて隠すという選択を女性がしていることがとても素敵だと思いました。
もう一つ。
イスラム教は神様をはじめとして一切の生物を描くことは禁止。
なのでモロッコでも、王家の写真以外の人間や動物の絵画や装飾は
一切見かけませんでした。
(ラクダの絵を描いているおじさんには出会ったな...)
言葉だけ聞くと、殺風景な空間なのかしら?と思いますが
実際には、そこら中に素晴らしい柄や彫刻が施された壁や天井、門。
モロッコしか知らないので、他の国はわからないですが、
とにかくその緻密さ、繊細さは素晴らしかった。
この素晴らしい建物を見て、
「私達はイスラム教の教えを信じきり、守り、継承していくんだ」という決意と
「その為にどうしたら建物や生活が美しいものになるのか」
考え続けた日々の積み重ねの結果が
モロッコで見た陶器であり、建物なのだと思わずにはいられませんでした。
そして何よりもその国や宗教を信じて日常を過ごしている
人々の人柄に触れることで、「あぁ、この選択も正解の一つなのだ」と。
何が1番いいかなんて、人それぞれ。
何が幸せかなんてその人達にしか分からないし、
その人達が自分の選択を正解にするしかないんです。
そこで思うわけです、何かを信じて積み重ねることって、
別に宗教の話だけじゃないんじゃないの?
世の中には沢山の情報が溢れてますよね、
美容法とか、ダイエット方法とか。自己啓発本とか。
中にはまるっきりデタラメもあるかもしれないから
しっかり知って、正しい情報を選択することは大切。
選択したら、あとはそれを信じきってやり続けるだけだと思うのです。
例えば最近だと、
①韓国の人のように美肌になれるスキンケア方法と
②極力肌は触らない!それが1番の美肌への1歩なんだ!
という真逆の美容法にぶち当たったわけです。
私は、①が自分に合うと思って1月から続けています。
続けていたら、生理前の肌荒れとかも無くなって
周囲に肌綺麗だねって言われるようになってきた。
だから②を知ろうと、①の方法が自分にはベストだと信じて
続けていこうと思っています。もちろん②を否定するつもりはないですけどね。
何が言いたいかって、自分は何を信じて
何を毎日やり続けるんですか?っていう話。
信じて、続けて、続けて、初めて結果が出ますよね。
結果がちゃんと出れば、それを信じた自分を正解にしてあげられる。
自分のことがもっともっと信じられるようになる。
生きていると、色んな選択肢とか、可能性に直面して
ぐらつきそうになることもあるけれど
自分のことをまず信じられなければ、自分の納得できる人生は歩めない。
自分が選んだこと、信じたことを
正解にしてあげたいから、やり続けよう。
モロッコに行って、ひたむきにイスラム教の教えを信じて生きる人々と
その人々が生み出した素晴らしい文化を目の当たりにして
そんなことを考えていた1週間。
ちなみに今は、このブログがいつか誰かの目に留まって
誰かの役に立つと信じて書き続けています。
ではでは。
F.